2012年9月20日自叙伝心の書写講演会

文鮮明先生聖和後、初めての『自叙伝心の書写講演会』が藤沢統一教会礼拝堂で行われました。

当日は浅川先生ご自身が韓国に行かれ、弔問また聖和式に参加された内容も交えてお話しをしてくださいました。

タイトル: 『幸福は常に私たちを待っています』           

  講師 :浅川勇男 先生        

 今日は『幸福は常に私たちを待っています』という題名です。文鮮明先生はひとつのテーマで生きておられます。そのテーマは常に『人を幸せにする』ことであり、自叙伝によると『人々の顔をかぐわしい花のように咲かせてあげたい』と情的に表現されています。わかり易く言えば『人の顔から笑顔を絶やしたくない』ということではないでしょうか。

文鮮明先生のお生まれになった1920年代は、世界が一番不幸な時代でした。その中で、不幸のどん底にある人たちを地球上から一人残らずなくそうという希望をもって出発され、今日93歳に至るまでやり続けてこられたのは、すごいことです。『一人ひとりを笑顔の人生にしたい』というのが、文鮮明先生の生涯の目的であったように思います。

 さて、誰しもが切ないほど願っているのは、幸せになることでございます。ところが、なかなかそうなっていないのが現実です。しかし文鮮明先生は『幸福は必ずひとつの位置に待っていて、一度も動いたことがなく、いつもあなたを待ち続けているのだ』とおっしゃいます。位置を離れずに待っている『幸福』に出会えないのはなぜでしょうか?

 ある人が『幸福駅』に向かって車を運転して行ったとします。場所がはっきりしていて道路標識もあるのに幸福駅に着けない理由は二つしかありません。『道路標識が見えなかった・間違って見えた』。それ(一番目の理由)は、あなたの目がおかしいのです。二番目の理由は、何年も何年も幸福を求めて運転したのに着かないので、最後は『諦める』ことです。車にまだガソリンはあるのに、自分でブレーキをかけて人生の運転を止めてしまうのです。

一つひとつの判断を間違えれば、車でさえ事故に遭うのですから車より高度な人間で、毎日が幸福になるための運転はとても高度です。それが何故、不幸になる方向にハンドルをきってしまうのでしょうか。問題は、人生という車を運転するあなたの【目】にあります。『欲望に目が眩む』といいますね。自己中心的な思いが強くなると失明するようになります。これが今日の結論なのですよ。『自分さえ幸せになればいい』と幸せへの我欲にかられた時、人間関係がボーッとしてきて、正しい判断が出来なくなるのです。

『自分と関わった人を心底幸せにしてあげたい』と思って心と体とをそこに注いだとき、不思議なことに自分に幸せが訪れるのです。結局、他の幸せの為に生きたときに、お礼として自分が幸せになるようになっています。すなわち“幸せにさせていただく”ようになっているのです。

 私は今回、天正宮で文鮮明先生のご聖体に親見させて頂きました。この時不思議なことに、全く動かないはずの文鮮明先生の口が開いているのを感じました。私の感覚では、文鮮明先生は私と世界中の弔問客一人ひとりに向かってこう言っているのを感じました―『よく会いに来てくれたね』。私がこの方に会いにきたのではなく、実は文先生が一人ひとりに会いたくて仕方がなくて、最後の縁を結ぶために待っていてくれたに違いないと思いました。

文鮮明先生はみ言を残してくださいました。自叙伝書写は文鮮明先生の魂と出会うことです。『幸福は常に私たちを待っています』―言い方を変えれば『文鮮明先生は常に私たちを待っています』。何を待っているのでしょうか?『今のあなたの心が変わらなくてはいけない』のです。私たち自身の心が文鮮明先生のように少しでも『他の為に生きよう』『自分の生命と存在は自分の為ではなく、誰かの為にこの世に生まれてきた』という自覚をもって生きるとき、間違いなく私を待っている幸福に出会うことができ、その時、文鮮明先生と出会うことができるのだと思う次第でございます。

 

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